お前しか見えない


 森田が拉致された。

 事態に気付いた平井が巽に調べさせた所、相手は完全ノーマークの一企業。それも自分達の所へ融資に来てすげなく断られた小さな会社の社長が、一人で仕出かした事であった。
 援助をしてくれる親会社に切られ、裏でも何処かと繋がっている気配も無く、まさに孤立無援状態だったからこそ平井達も油断し、起こった事態であったことは否めない。
 身代金を要求するでもなく、森田の情報だけを送ってくる男の私怨は深く、背筋が薄ら寒くなったのは事実。

 巽や安田、船田は普段から身の回りには気をつけている。前職も何かと危険と隣り合わせになる事が多い職業だったからこそ、今でも自然と実行できていた。
 平井とて若い時から無茶をやっていたから、習慣として染み付いている。
 裏で動くブローカーになるということは、一般人とは違った警戒が必要な職なのだ。

 けれど森田は、つい一年ほど前まで一般人大多数の括りの中におり、まだ安穏と縁を断ち切れておらず、平和ボケした所がある。
 いつもは仲間と組んで動くために余り危ない目に合うことがなく、持ち前の運の良さと天才的な機転に助けられる事もあって、誰も気付くことができなかった。

 小さなヤマだからと一人で動かすことになって、初めて浮き出てしまった弱み。今回はそれが完全に裏目に出た。
 森田は囚われ、平井達が得るはずの情報は手元に来ないまま。相手にとって、絶好のウイークポイントと言う形で人質となってしまったのだ。

「どうするつもりだ、銀さん…」

「どうもこうもねぇだろ…助ける」

「助けるったって…」

 今森田を失うわけにはいかない、それは誰もが思っている。
 だが、平井達は他にも何件かの案件を抱えており、全員でそちらにかまける事は出来ない。
 だからこそ仕事の采配を割り振った平井が、責任を取って一人でも助け出すと言い出した時には、誰も反論できなかった。
 とは言え、何度も修羅場を潜ってきた平井でも一人で行動を起こすには少々荷が重すぎる。今回のように相手の意図が歪んでいる場合などは特に。
 敵の巣に飛び込むのに何の準備もしないままでは、みすみす殺されるのを待つようなものだ。
 巽達は手を組んでいる自由業の若輩を使うことを考えたが、彼らは自分の頭で考える事ができず、また彼らに借りを作るのがどれだけの意味を持つのかが判っているだけに、安易に答えは出せなかった。

 そこで、平井の他に誰が森田を助ける為に動くかが最重要問題になった。
 荒事が得意ではない船田は除外、だとすれば巽か安田が妥当。けれど二人共が手を離せない仕事についており、他の人間では代わりを務める事が難しい。

「チッ…埒があかねぇな。俺は一人でも行くぞ」

「待てよ、銀二…!」

 今こうしている間にも、時間は刻々と過ぎてゆく。
 悩む時間が有れば直ぐにでも動きたいのが皆の思うところであったが、人が足りないばかりに安易に動くことができない。

「揃いも揃ってシケた面して…クク…なんかあったのかと思われるぜ」

「赤木…っ!」

「おーおー、そんな怖い顔しなさんな。血圧が上がっちまっていけねぇ」

 しかしそんな折に現れたのが、神域の男と名高い赤木しげるだった。

 何もない所に赤木在り。
 誰かがそんなことを言い出したのかは知らないが、強ち間違っていないのだから困ると言うもの。

 けれど来るにしても時期と言うものがあるだろう。
 そして今は、平井達にとって一番来て欲しくなかった時だ。

「そういや、あの黒髪のしっぽ君はどうした? アンタ等が面揃えてるのに一人外と言うわけでもあるめぇ」

「お前に仕事の事で口を挟まれるたァ思わなかったぜ、赤木」

「ククク…随分と隠し事するもんだ…そんな切羽詰ってる面じゃあ、隠せるモンも隠せねぇぜ、銀王さんよ」

 加えて無駄に勘が働く男である。森田の不在にも逸早く気付いたのも、仕方のないことなのかもしれない。
 しかしそれを受け入れるのを、平井は頑なに拒んだ。拒む必要があった。

「お前はお呼びじゃねぇんだよ、赤木」

「フフ…それはどうかね?」

「なに?」

 赤木が目で促したのは巽。

「待ちなよ銀さん…これはチャンスかもしれない」

 平井にとって、赤木の来訪は拒否すべきものであり、今後もそれは変わることがない。
 けれど、巽は違ったようだ。巽は慎重に言葉を選びながら、期待を赤木に繋ごうとしている。それは、いけない。

「何を言い出す、巽…今俺達がしなきゃなんねぇのは、コイツをつまみ出すことだ…そうだろう!」

「落ち着けよ銀さん、巽の言う通りかもしれないぜ…それに今赤木を外に放り出したら、何が漏れるか判らん」

「安さんの言う通りだよ。銀さん、今のアンタは冷静じゃない」

 仲間に口々に言われては、平井も口を噤むしかない。
 確かに今の平井は、少し冷静さに欠けていた。それは自分でも判っている。けれどそれは、この先の展開を予測して気が立っていたのだ。

「赤木さん、アンタ森田を気に入ってくれている、そうだよな?」

「ああ…あのボウヤはからかいがいがあるからな…」

 巽の質問に答えながらも、チラリと平井を見ることは忘れない。
 巽達とて判っているのだ。赤木しげるが森田鉄雄を”そういう意味で”本気で落とそうと狙っていることは。

 平井の家にこれまたひょいと訪れた赤木が、たまたま一人で家に居た森田の何を気に入ったかは知らないが、喰ってしまったというのだ。平井曰く。
 その日の家の荒れようと言えば、竜巻が起こり、更には地震でもあったのかと思われるような具合であった。
 騒動を平井が心の裡にどう納めたのかは知らないが、赤木はそれでもピンピンしていて、今回のように機を見ては平井の部屋を訪れる。更に赤木は、鍵など知らないように室内にずかずかと入ってくるのだから余計にタチが悪い。
 言わずもがな平井は、赤木を歓迎したことなど過去を見ても一度もなく、それ以来は嫌気を隠そうともしていない。

「ちょっと森田が動けない状態にあってな…赤木さん、アンタの力を借りたいんだ」

「おい、巽」

「銀二…お前も判ってるだろ。この中で自由に動けるのはこの人だけだ」

「必要ない。俺だけで十分だ」

「おいおい…仲間割れか?」

「赤木さん、アンタはちょっと黙っててもらえないか。今は一刻を争うんだ」

「へいへい…」

 赤木は船田の諫言に肩をすくめ、話が長くなりそうだとソファに座った。
 同時に置いてあった安田のグラスを奪って口をつける。中身はジャックダニエルか。平井が飲むには味が安すぎるから、恐らくは安田の持ち込みなのだろう。氷が解けて味が変わっていた。

 赤木は手元の酒を揺らしながら、平井と巽のやり取りを眺める。
 今回は珍しく、巽をはじめ安田や船田も平井の敵に回っているらしく、口論は益々激しくなっていく。

「銀二、お前はもう少し賢いと思ってたよ」

「どういう意味だ巽。俺は馬鹿じゃねぇんだぜ」

「いいや言わせて貰うぜ。今の銀さんは森田に気を取られて現実を見てねぇ。一人で行ってどうする? それこそあいつ等の思う壺…敵に塩を送るようなモンだ。それを一番判ってるのは銀さんのはずだろう…!」

「安田まで言うか…! だが、俺はコイツと組む気はないっ…!」

 コイツ、と指差された赤木は平井を見やる。そして溜息。

「…判った、ならこういうのはどうだ。俺とお前、二人で森田を助ける。だが協力はしない。…そんで、助けた方が森田と一晩遊ぶってのは…?」

「馬鹿も休み休み言えっ! そんな事を、受け入れられるわけねぇだろうが…!」

「じゃあお前は受け入れなくてもいい。俺が勝手に助けるだけだ」

「………っ…!」

 遊ぶというのは勿論健全な大人の付き合いではなく、性的な意味での行為だ。
 森田とソウイウ関係である平井を揺さぶるには十分だった。
 平井にはそれだけで、この話に乗らざるを得ない。
 赤木は言った事は必ず実行する男だ。でなければ、一度ならず二度までも森田は喰われるだろう。

「そういうこった。情報は俺にも回してくれ、巽さんよ」

「だが…」

 巽が平井を窺ったのも無理はない。平井の表情は殆ど無に近い状態だったからだ。
 森田と赤木しげるとの間に起こった出来事は、少し掘れば簡単に表面に浮き出てくる地下水のようなもの。表で取り繕っていても決して消えることはなく、平井にとって何よりも許しがたい行為であったことを表していた。

「………いいだろう、俺の邪魔さえしなけりゃ勝手にすりゃあいい」

「そりゃ有り難い事で。これで銀王直々にあのボウヤを好きに出来る権利も貰ったことだし、久々に派手に遊ぶか…」

「…あァ、そういや言い忘れたが、そこで”ちょっとした事故”が起きても俺は何も知らねぇぜ」

「上等さ…ついでに腕の一本くれぇ賭けるかい?」

「そりゃまた冗談…どうせなら頭の一つくらい賭けたらどうだ? 伝説の雀士なんだ、それくらい賭けたことあんだろうが」

「クク…どうせ命だってその内賭けることになんだ。焦らなくてもいいだろうよ」

 人の悪い笑みを交わす二人に、巽達は口を挟む事が出来ない。
 挟めば最後、巻き込まれるのは目に見えていた。

「なら、ボウヤの救出作戦といこうじゃないの…」

 森田も運が良いのか悪いのか、強力な助っ人を得たものの、己の貞操を賭けられるとは思ってもみなかっただろう。

 それでも第一段階として、やっと光が差してきた。
 森田の救出作戦の開始である。


----------
これだけ書いてまだ書きたいところまで辿り着かないとかどういうことなの…!