お前しか見えない


 翌日、二人はある埠頭に立ち並ぶ倉庫の内、潮風に晒されて錆び付いた赤銅色の鉄扉の前に立っていた。
 周りに人の気配はしないが、そこに森田は居るはずだ。

 横にスライドさせるように押し開くと、錆びたそれがギィと音を立てた。
 外の明るい光が一条の筋となって暗い部屋を照らし、所狭しと詰まれたコンテナが姿を現す。

 奴は平井達の動きにも当然気付いているだろう。
 しかしそれでいい。それでこそ、恐怖を味あわせる事ができる。
 手がかりを殆ど残さなかったと言うのに、此処まで辿り着いた執念を存分に味わえ。

「…だが、本当にお前じゃねぇんだな…?」

「ククク…疑りぶかいねェ…」

「当たり前だっ…!」

 何度このやりとりを繰り返しただろう。
 平井は赤木をずっと疑っていた。赤木には疑われる要因があったのだ。

「どうして森田の居場所が判った」

「何度も言ってるだろうが…俺の知り合いがチョイと手伝ってくれたんだよ」

「ならそいつの名前を言え」

「しつけぇなぁ…おめぇも知ってるだろうが、シュヒギム、って奴をよ…」

 つまりはそういう筋からの情報。
 森田の拉致を他言されただけに止まらず、なにより平井の癇に障ったのは、巽よりも情報が早かったと言う事。
 それこそ数分の差だったが、その道のプロである巽よりも早かったと言うのは、捨て置けることではなかった。
 赤木が森田を攫った輩とグルになっていないと、どうして言い切れる?

「お前さんが何を疑ってるのかは知らんが、俺はやるなら自分でやるさ…」

 だから裏でチマチマと手を回すような事はしない。森田を拉致してどうなるものでもあるまい。
 実際、赤木には前科がある。それが己の欲望どおりに従った結果だ。

「それに、今の問題はンな事じゃねぇだろ…?」

 周りをぐるりと見回した赤木の目は、しっかりとコンテナからの影を捉えていた。

「どうやらお出ましのようだぜ、銀王さんよ」

「…判ってるさ」

 話を煙に巻き、後ろ足を引いた赤木に舌打ちを一つ。平井も腰を落とし、重心を若干後ろにずらすようにして乱闘に備える。

 二人が戦う構えを見せた事で、相手も隠れても無駄だと判断したのだろう。中途半端な身の潜め方といい、向こうももとより隠れるつもりなどないようだった。
 バラバラと出てきたのは、髪を金や茶色に染め、体を甚振っているようにしか見えない数のピアスをあけた十代であろう若者達だ。軽く見積もって20人はいる。
 そして彼らが握っているのは脅しの玩具ではなく、使うための武器。ナイフにメリケンサック、スタンガンに鉄パイプ。果ては釘バットと、よくぞこれだけのモノを集めたものだ。

「逃げるなら今の内だぜぇー…?」

「逃がさねぇけどなァー!」

 ぎゃははは、と下品な声が囃し立てる。

 よく考えられている。平井は敵であるのに感心する。
 孤立無援の男が私怨で戦うのに用意した兵隊は何処ぞの組員ではなく、暴走族上がり、チンピラ崩れと言った風な若者ばかり。
 恐らくは平井を襲った後は好きにしても良いと言われているのだろう。確かに平井が身につけている金品は一流の物ばかりで、売れば数百万にはなる。となれば、集める時に金がなくても、全てが終わった後には違う形で報酬が出る事になる。
 万一、彼らが平井達に伸されることがあっても、バックが無い彼らを擁護する者はおらず、ただの乱闘として処理されるだろう。

 凡そ、一般人の考える事ではない。
 長らく社長を務めていたというのだから口は達者だ。でなければ今まで生き残ってこれなかった。
 元手を最低限にして最大の戦力を集める。この才を違う面で発揮していたら、会社が傾くこともなかったに違いない。全くもって皮肉なものだ。

「一人頭10人、ってトコか?」

「俺の邪魔だけはしてくれるなよ、赤木」

「そりゃこっちの台詞だよ…クク、血が騒いで仕方がねぇ」

 言うが早いか、赤木は手近に居た男の首元を掴んだ次の瞬間には横のコンテナ叩き付けていた。
 ぐじゅ、と言う液体音の中に混じる高い音。恐らく彼の鼻は原形を留めないまでに粉砕されていることだろう。

「鈍ったかねぇ…俺も……手が痛くて堪らん」

 手を離せば、コンテナに暗褐色の線を引きながら男の体はずるりと地面に崩れ落ちた。
 これが一瞬の内に起きた出来事。対峙していた若者達は誰も動くことができなかった。

 そしてその隙を逃さないのが平井だ。彼等の視線は赤木に向けられていて、誰も平井の行動を止めようとはしない。
 若者達の一番後ろまで回り込み、無防備に立っている男の足を掬う。気が抜けているのだから簡単だ。
 そして顔面に踵を叩き込む。めしゃり、と嫌な音が鈍く響いた。

「………………」

 だが、気付かれない。
 赤木のように派手に立ち回っているわけではなく、また注目されにくい彼等の背後から襲う事によって、平井は自らのリスクを減らしていた。

 そして、この場を赤木に押し付けて森田を探そうと踵を返した時である。内心で肋骨の一本、いや、半殺しにされれば良いと思っていた事は否定しない。

「おい、何処へ行くんだ…? 銀二よう…」

 ざわ、と場がどよめく。そして背中に突き刺さる視線。
 注視していなかったのは若者達だけだ。心の裡を読んだのかは判らないが、舞台の真ん中にいたにも拘らず、赤木だけは平井の行動を見ていたらしい。

「面白くなるのはこれからじゃねぇか、なぁ?」

 言いながら横に突っ立っていた男の首元目掛け、上段の回し蹴りを一発。
 それをまともに喰らった男は、汚らしいくぐもった声をあげ、膝から地面に倒れ伏した。

「あらら…俺の一張羅が台無しじゃないの…」

 スーツに付いた男の唾液を見て顔を歪める。さもそれが穢らわしいものであるかのように。

「野郎! 舐めやがって…!」

 いきり立つ若者を横目に、赤木は内ポケットから煙草を出し、流れるように火をつける。
 赤木はあくまでマイペースだ。そう、平井に平然と声を掛けてくる程度には。

「悪いが今回はあのオッサンがメインでな。俺は単なるオマケだ。だから残念ながら、ロレックスや何やらは持ってねぇのよ」

 そこのオッサンみたいにな、と平井の不利になる事を彼らにしゃあしゃあと言ってのけるのは、完全に悪質な嫌がらせだ。
 そして赤木が動く気配を見せる。何処へ向かうのかなど、一つしかない。

「焦るなよ、赤木。お前は普段から金を持って無さすぎなんだ……まぁ、だが? お前が”万一に”人質にされたら後ろ盾は、惜しまずに金を吐き出すだろうよ」

「テメェ、銀二…」

「神域の男なんだろうが…赤木しげるよ。一人だけ逃げようなんてセコいんじゃねぇのか…?」

 平井もやられるだけでは終わらなかった。
 二人共、一歩も引かない。

 平井など、自分の事は棚に上げての上の台詞である。無論平井とて赤木が逃げるとは微塵も思っていない。
 赤木とは所詮同じ穴の狢だ。考えていることなど手に取るように判る。
 それに森田の事は気にかかるが、ここで負けては最悪の事態を招きかねない。
 森田が目の前の男に喰われるのを、指を銜えて見ることにでもなれば、今度こそ発狂してしまうだろう。

 対して赤木は、森田を一晩だけでも好きにしていいという餌を目の前に吊るされているのだ。これを取らずしてどうする。
 アレ以来、森田は自宅で一人になるような事はなくなったし、平井の居ない時を狙って家に上がっても、肝心の人間が居ないのなら意味がない。
 最初は面白いオモチャだと思った。決して壊れない玩具だ。けれど、どれだけ手を伸ばしても、決して己のものにはならない。
 手が届かない玩具に執着を見せる様はまるで子供。欲しくなるまでに時間はかからなかった。

 だから譲れないのだ、二人共。

「勝負だ、銀二…森田を賭けてな」

「いいぜ赤木…泣きっ面晒させてやるよ…」

 そうして勝負の火蓋は切って落とされた。
 森田の救出は未だ、遠い。


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自分が思っていたよりも神域が好きかもしれない事に気付かされた。
そしてまだ続くんだこれが…申し訳ありません…!