巨大な倉庫で起こった乱闘、これを知る者は後になっても口を割らなかったらしい。
余りに一方的、そして圧倒的な強さに、思い出すだけで体の芯が震えるような出来事であったからだ。
平井も赤木も容赦がなかった。
相手が武器を持っていても二人には関係なく、寧ろそちらに頼ることによって生まれた隙を見逃さず、自ら仕掛けていく。
時に同士討ちを誘う予測しづらい動きと、己の手足を使って、米神、頚椎、肋骨、金的、アキレス、などの人体の急所と呼ばれる場所を、的確に突く形で倒していった。
僅か、三十分。
それが二人が其処に居た全てを血に濡らした時間だ。
其処には見ていて目を覆いたくなるような惨状が広がっていた。
流血しているだけならいい方で、骨が突出している者、声を失った者、立てなくなった者、酷い所で目を潰されている者も居た。
歯向かうなら徹底的に潰すまで。
恐怖を与えるように派手な立ち回りで向かってくる二人に、対峙していた彼等の心中を察するに及ばず。
向かう気力が根こそぎ奪われていくのが目に見えるようだった。
「すいません! 許して、許してくださッひぃ―――ぐあ゛!!!」
「あーあー、煩せぇ」
「ごべんなざ、いっ、もう、しまぜっ! が、ぁあ!」
「煩いってぇの」
赤木は二本目の煙草を口に銜えたまま、真下にある頭を踏み付けた。そうすれば、ぐぎゅ、と呻く音と共に沈黙する。
最後辺りになれば、本人も何に対して謝っているのか判らないまま、顔に砂を擦り付けながら頭を下げる若者が何人もいた。
けれど赤木にとってはどの若者も同じにしか見えない。殺そうと挑んできた者も、今足の下にいる者も。
見逃すという選択肢は、赤木の中には最初から存在しなかった。それは少し離れた場所で、若者の腹に膝を打ち込んでいる平井も同じだろう。
「案外弱かったな」
「どうせ寄せ集めだ」
二人にとっては殆どがそうであるように、彼らも敵ではなかった。
己の命を賭け、二人を殺すつもりでかからないと、幾度も死線を潜ってきた彼らを退ける事は難しい。
「二十一だ、赤木」
「同じね…面白くなってきたじゃない」
同数。
つまり、引き分け。
そして勝つためには、残る一人、この状況を作り出した本人を倒せばいい。
己だけで勝とうとしなかった臆病者だ、武器を持った若者より容易い。更に、私怨に燃えているとすれば、冷静な判断力を失っている可能性は高い。
「森田は渡さねぇよ」
「心配には及ばねぇさ。勝手に貰っていくからよ」
「それはどうだか。俺に森田も居るんだぜ」
「勝負だっつったら大人しくなるさ…森田は真面目ちゃんだからな」
「知った風な口を…」
平井は口ではそう言ったが、この勝負に赤木が勝てば、森田は間違いなく従うだろう。
己の知らない所で交わされた取り決めなど、知らぬと反故にすればいいのに、変な所で潔癖なところがある。己で決めたらまず覆さない。
勝手に賭けの対象とした平井を恨みながら、身を切られるつもりで赤木の前に立つのだ。
…恐らく、見ている平井の方が発狂する。
森田を特別に想っているからこそ、許せない。
「……させねぇさ」
平井は口の中で小さく呟き、赤木に背を向けた。
こうなれば赤木よりも早く森田を見つける事が先決だ。そうすればこの不毛な戦いも終わる。
「……………」
「……………………」
どれだけ歩いただろう。
昼なのか夜なのか、時計を見ながらでないと時間の感覚も狂いそうだ。時計を見れば、既に二時間ばかりが経過している。
倉庫の壁に沿って作られた二階通路から下を見ることも考えた。どれだけコンテナが詰まれていようと、上から見れば一発だ。その方がよほど時間を節約できる。
しかしぼんやりとした蛍光灯が間隔をあけているせいで倉庫内は薄暗く、近くまで行ってみないと周りが判らないという有様。
おかげで、上から見る作戦はあえなく失敗。虱潰しに探すしかなくなった。
「いい加減にしろ! どうして俺の後ろを付いて来るんだ!」
「そりゃコッチの台詞…お前が俺の行く方向にいるんだろうが」
「舐めんじゃねぇぞ、赤木……今此処で決着をつけるか?」
「へぇ…別に、俺は構わねぇよ」
カツリ。
平井が足を止めれば、赤木もそれに倣う。
「お前とはいつか決着をつけなきゃと思ってたぜ、赤木」
「俺もさ。おめぇが居るから森田も縛られたまんまなんだ。自由ってことを忘れてる」
「自由…ね。でもそれは望まない者にとっちゃあ、足枷になるって判ってるか?」
「クク…でも森田はもう少し外を見た方がいい。おめぇに囲われて生きるばかりじゃ傀儡と一緒じゃねぇか」
「俺が囲ってるなんて人聞きの悪い。森田が望めば離すのも已む無し…だが、奴がそれを望んでない以上、俺から手放すのはおかしい話だろう?」
「ちゃんちゃらおかしいね。銀二、おめぇのやってることは森田を自分の思うままに操ることだ」
「馬鹿言うんじゃねぇっ…俺は森田の意思を大事にしてる! お前とは違ってな…!」
そうして赤木と向き合う。
赤木は、哂っていた。
「必死だな、銀二よぅ。それほどまでに怖いか?」
ニィと唇を歪める、その顔はさながら老獪な狐だ。
これに怯むような事があれば、一瞬で喰われる。
「怖い? 何を言い出すかと思えば…」
「怖いだろう。お前の大事にしてる”翼”の羽をむしられるのは…」
牙を抜かれた獅子より、翼を失った鷹の方が生き難い。
平井が牙で、森田が翼。翼を亡くせばどうなるか、想像するまでもない。
「赤木…」
「積みすぎなんだおめぇは…一つくらい荷を降ろしてみな。楽になれるぜ」
「それが森田を失うことなら断る…お前に託すくらいなら、テメェの始末くらいテメェでつけさせる」
「みろ…! そうやって縛ってんだお前は…森田を手放すことが怖いんだろうが」
赤木の言う事は的を射ている。
平井は、森田を失うことが己の半身を失うことだと理解していた。
そして同時に、赤木が森田に異常に拘っていることに気付く。
この時まで、平井は赤木が森田を執拗に狙うのは、裏の世界にいても失われなかった純粋さ、そういうものを持つ玩具が珍しくて、遊んでみたいだけなのかと思っていた。
けれど、今の赤木の執着は普通ではない。玩具にしては有り得ないほどの熱。
なんと言葉を重ねようとも、赤木もまた惹かれていたのだ。まだ自分の半分しか生きていない男に。
「……フフ…そういう事か、赤木…」
そう考えれば全ての辻褄が合う。
森田を襲った事も、”好意を向ける”事がどういうものなのかを知らないならば、強硬手段に持ち込むことも有りうる。
許せるはずが無い。けれど、突破口が開いた気がした。
「赤木、森田はお前にはちと荷が重い」
横恋慕とは、大迷惑な事をするもんだ。
森田は誰にも預けるつもりはない。だとすれば、平井がやることは一つ。
「悪いが森田は俺のモンなんでな」
「―――っ…」
「来い、森田ッ!!!」
「―――――――――銀さんっ…!」
直ぐ側、平井達がいたコンテナの裏から聞こえた声は、ずっと聞きたかった声。
直後響いた、ガタンという音。そして悲鳴、鈍い殴打音。
「ぎん、さっ……!」
「森田」
赤木に背に振り返れば、憔悴してはいるが変わらぬ姿の平井の翼が居た。
あちこちボロボロで、上着はどうしたのか、手元に無いようだった。それでも森田は、暴力を振るわれた後が色濃く残る顔で銀二に笑ってみせる。
「…お待たせしました」
「…クッ、遅せぇよ」
「ハハ…そりゃないですよ銀さん…これでも俺、必死で………あれ? 赤木さん…?」
「よぅ、森田」
「そっとしといてやんな。フられてへこんでんだ」
「フられた? 赤木さんが…ですか…?」
「おい銀二、俺は」
「そうだろう? 森田は俺しか見てねぇんだから、早々に諦めるこった」
「ちょっ…銀さん!?」
どれだけ離れていても、森田には平井の声が届く。
なのに、近距離に居ても赤木の姿は目に入らない。
圧勝だ、この勝負。いや、勝負にもならない。
「フフ、これで賭けはチャラだ。お前がどれだけ足掻こうと、俺の翼はどこまでも高く飛んで逃げる」
「銀二…お前…」
「…何の話ですか?」
「お前は知らなくていい話さ」
平井と赤木、この二人がどれだけ争っても勝負はつかない。
終止符を打つことができるのは、最初から森田だけだったのだ。
だからこそ、平井も笑いが止まらない。
赤木も思い知っただろう。森田を玩具扱いした罰だ。
「チッ…ならしゃあねぇ、三人でするか」
「馬鹿か…しねぇよ」
どんよりと曇っていた空が晴れた気分だ。明日も、きっと晴れているだろう。
薄暗い此処から出たら、振られた赤木に酒を一杯くらいはおごってやろうか。
横に無二の相棒を侍らせ、平井は口端を小さく上げた。
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書き上がったァアア!! おこさん、お待たせして申し訳有りませんでした。
あんまり戦ってないけれど、それは大きな目で見てあげて下さい…そう、寛大な心で…!←