可哀想だた惚れたつて


※動物の共食い的な表現が有ります。苦手な方はバックっ…!






 やってもやっても終わらない書類に嫌気が差し始めた所で、ギィと重厚な扉が開く音。
 この屋敷に居る者は必ず声をかけるし、そもそも鷲巣が仕事をしている時に邪魔するような輩はいない。となれば、この部屋にずかずかと上がりこんでくる不心得者は一人だけだ。

「何しに来た」

 あいつ等は何をしていたのかと脳内で白服たちを罵りながらも、この男は例えどれだけ鷲巣が警戒していたとしても入ってくるのだろうという、妙な確信と諦めもあったことは否めない。
 鷲巣は招いた覚えのない男に視線を上げることなく、極力意識していることを隠して、書類を睨みつけながら声だけをかけた。
 だから、気付かなかったのだろう。

「鷲巣」

「なんだ「にゃあ」…っ!?」

 よもや幻聴か。聞こえるはずのないものに、思わず顔を上げてしまう。
 しかし顔を上げた鷲巣の前に差し出されていたのは、一匹の猫。生まれてそれほど間が経っていないのだろう、その体躯から子供だと言う事が窺えた。

 いや、それよりも。

「貴様…いつの間に…」

 気にすべきは、いつの間にか入り口から鷲巣の前に移動していた赤木だ。
 騒音を好まない鷲巣のために、邸に敷いてある絨毯はどれも音を吸収するように毛足が長いが、かといって同室での足音を完全に消すかと言われればそうではない。
 赤木の気配が掴みにくいものである上に物音すらさせないなど、ますます化け物じみた男である。

「鷲巣」

 己の名前を連呼する男はいつもながらの無表情だ。その顔のままで差し出した猫を、鷲巣にどうしろと言うのか。
 鷲巣は超能力者ではない。人より他人の心を読む力に長けているだけだ。けれど、人間の枠から飛び出している男に鷲巣の読心力は使えない。

「おい…」

 その動物を持ったまま帰れ、と言おうと口を開きかけた所で、赤木が唐突に手を離した。
 猫はそのまま落下し、未処理の書類の上に爪を立てながら見事な着地を見せる。小さくても動物だ、などと鷲巣が賞賛するはずがない。無論、口から出るのは苦言だ。

「貴様、何を考えておるッ…!」

「此処に来る途中で拾ったんだ」

「戻して来い!」

「猫は嫌いか?」

「そういう問題ではないわっ!」

 どうしてこの男には日本語が通じないのだろう。
 赤木が何処で何をしようと、鷲巣はどうでもいい。だが、それは鷲巣に関係が無いところでの話。
 鷲巣は特に猫好きという訳ではないし、屋敷に他の動物を連れてきた所で余計な仕事が増えるだけだ。

「名前は…一筒にでも」

「馬鹿にしとるのか!!!」

「そんなつもりはない」

「どこがだ!」

 馬鹿にされていないと感じる方がおかしいだろう。一筒には嫌な思い出がありすぎる。

「…ここで飼ってくれないか」

 そいつ、と指を差したのは件の子猫だ。書類は既に遊び道具となっていて、最早機能を果たしそうにはない。厄介なことをしてくれたものだ。
 赤木は小さな動物の頭を一撫でして、もう一度同じことを言った。

「…貴様が拾ったのならば、貴様が飼えばいいだろう」

「俺の家は駄目だ」

「わしの屋敷でも同じだ」

「でもアンタに飼って欲しい」

「勝手だな」

「勝手でいいさ。飼ってくれるなら」

 鷲巣が資産を殆ど失ったからと言っても、あくまでそれは現金のみの個人資産だ。
 幸い会社の株は抵当に入れていなかったし、少しずつではあるが資産も増えている。猫を飼うくらい訳はない、が。
 赤木は人にも興味がなさそうな男である。動物には特にだろう。哀れみを向けるような男ではないと思っていたから、引っかかったのだ。

「此処で飼えと言うのならば、それなりの理由を示してみせろ。理由によっては飼ってやっても構わん」

「理由…か。小さな事に拘るな、鷲巣」

 猫は鷲巣の袖元に擦り寄っていた。それをやんわりと外す。
 これほど小さく弱い生き物だと、力加減が判らない。うっかり踏んでしまった日には、死んでしまうのではないだろうか。

「死んでいたんだ」

「…なに?」

「それだけ、生き残っていた」

 鷲巣の手元で書類と戯れている子猫は、とても衰弱しているようには見えない。それどころか元気にさえ見える。
 だが、その元気の素は。食べ物は、飲み物は、どうした。

 一緒に捨てられていた子猫達は、恐らく同じ親から生まれた兄弟だったのだろう。
 けれど、赤木が持ってきた子猫は一匹だけ生き残ってしまった。生き残らざるを得なかった。生への渇望。それが自然の、弱肉強食だ。

「飼ってくれないか、鷲巣巌」

 それだけで、赤木が何を言いたいのか、何を考えて鷲巣の元へこの小さな生き物を持ってきたのかを悟った。
 判ってしまえば、鷲巣には断ることはできない。赤木とは所詮同属だ。


 そして鷲巣は、手袋を嵌めた掌で顔を覆った。
 この哀れな生き物が見えないように。


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妄想してた時にはギャグだったのに、出来上がったらシリアスだったという罠。