終わりに近付いてきた安い紙巻きを指先で握り潰し、火が完全に消えた事を確認して背後の生ゴミの中へ突っ込む。
こうしておけばポイ捨てにもならない。火事にならないように確認もしてある。
そうやって通りを裏から見やれば、せかせかと歩くサラリーマンやキャリアウーマンの姿が飛び込んでくる。
誰も森田には気にもかけない。否、気付かない。
表に立っていることが当たり前である彼らにとって、裏は知らなくてもいい非日常なのだ。
異世界の存在など、知らなくても生きていけると思っている。
己とは何の関係も無いと無条件に信じて。
それは確かにその通りなのかもしれない。表で生きる人間にとっては、裏に堕ちる人間こそが悪。
だがしかし、実際にそんなことはなく、表舞台が日の当たる場所として成り立つ為の必要悪。
そのことを直視したくないがために、目を逸らしているだけだ。
「ばっかみてぇ…」
「それが自分を保つ為ってんなら、ソレも有りだろ」
「………ッ!」
とん、と軽く背を叩かれて、森田の肩が跳ねた。
「だ、誰っ……!?」
くるりと振り向けば、まず目に入るのは色がぽっかりと抜けた白髪。次いで、抜け目の抜けなさそうな壮年の男の顔が飛び込んでくる。
それで、ぎくりと背中が震えた。
「おいおい…そんなに警戒すんなよ…」
人好きのしそうな顔で森田の引き攣った顔を覗き込む。
森田の前に晒された顔立ち―――それは吃驚するほどに、森田の脳内を占めている人に似ていた。
声が、出てこない。
「、ぁ――――――」
よく見れば、別人。
けれど、声も雰囲気も違うのに、森田を気遣う風は嫌になるほど似ている。
「大丈夫か?」
平常心が、吹き飛ぶ。
社会を斜めに見ていたさっきまでの心持ちなど、微塵も残さずに砕かれてゆく。
止める術はなく、平素ならば己の心身を束ねている手綱の戻し方も判らない。
戻ってきそうにない意識をゆるゆると眺めるだけだ。
「おい兄ちゃん―――アンタがどこでなにしようが勝手だがな、こんな所にボケッと突っ立ってると蹴っ飛ばすぜ」
「―――ぅ…!」
何も言わない森田をどう思ったのか、やれやれと言わんばかりに白い頭をかき、一歩身を引いた。
それで漸く、金縛りが解けるようにして森田の体の統制を司る部分が戻ってくる。
「…あれ…」
「なんだ、喋れんのかい」
「はぁ…」
「はっきりしねぇボウヤだな。大方イイ人にフられたか」
「な」
先程までの馴れ馴れしかった態度はどこへ行ったか、”普通”の森田に男の興味は失せている。
人を喰ったような笑みと共に向けられていた視線は既に森田から外されていて、胸元のハイライトへと移行している。
「せいぜい…むしられねぇようにしろよ」
「……ま―――っ、て」
安っぽいライターで煙草に火をつけた男が、表通りに背を向けて闇の中へ消えてゆく後姿に、森田ははっしとスーツの裾を掴んでいた。
特別な理由などない。そうしろと誰かに囁かれたような気がしただけだ。そして森田はその勘に従った。
「なんだい、まだ何かあるのかい」
漠然と、だが。
男が非日常に好んで住んでいるように思えたのだ。
森田が亡くした世界。
その、僅かな残滓を感じた。
「行く所、あるんですか」
「…ナンパなら、もっとイイ誘い文句を考えるんだな」
「来るんですか、来ないんですか」
「…………」
答えは口の端を吊り上げた笑い。
想いが弾け飛ぶ音が、確かに聞こえた。
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最初は幸鉄のつもりでした。なのに神域に持ってかれた凡夫。
そして越境パロディ…!と念じながら読んで下さい。