「ふ、…ぁ…?」
グラス片手にソファで寛いでいたら、寝室から僅かに声が漏れ聞こえた。
銀さん銀さん、と寝言にはない確かさで幾度も己の名を連呼する声は、間違いなく自分を呼んでいるのだろう。
持っていたグラスをテーブルに置いて、キィとドアを軋ませながら中に入れば、掛け布団の中でパタパタと己を探す音。
「森田?」
「銀さん…?」
「起こしたか?」
「いえ……今何時ですか?」
「4時を回った所だ。まだ寝てて構わねぇぞ」
「あふ…はい」
さっきまで無駄な擬似生殖に励んでいたのだ、眠いのだろう欠伸をする相棒の髪を優しく撫でて口付けを一つ落とす。
そうすればやっと安心したのか、寝入る気配と安らかな寝息が部屋を満たした。
「まだまだ子供だな…」
涙の痕が残る頬を撫でてやれば子供の体温が掌に伝わり、冷たいガラスに温度を持っていかれていた指がじんわりと熱を持つ。
「一体、何の夢を見てんだか」
寝付いて数分もしていないのに、むにゃむにゃと寝言を零す姿は、子供がそのまま大きくなったようだ。
森田は他人の前でこうも無警戒に寝られるものかと平井は思う。
平井ならばこうはいかない。長年の付き合いである巽や安田を頭に浮かべてみても、結果など判りきっている。
仕事で同じ場所に飛ぶ事があっても、部屋は別に取るのが当たり前で、それ以外に選択肢などなかった。
だのに、森田は違う。
今回の仕事は地方での仕込みもあった。一日ではすまない大掛かりな仕掛けだ。
検討の結果、ホテルを取って数日かけて行う事になったのだが。
「二部屋? 誰か来るんですか?」
「来ねぇよ。俺とお前で二部屋だ」
目立ちたくないのが一番だったから、今回はスイートではなく普通の一般客室。
打ち合わせは事前にアジトしていたから細かい話は無し。誰かに聞かれて困る話をするつもりもない。
だから別々の部屋でも全く構わないというのに、森田の反応は平井の予想の斜め上をいった。
「え? 一緒の部屋で寝たら良いじゃないですか。経費削減ですよ。……あ、ベッドは別々ですよね?」
最後の問いは完全にフロント向かっていて、答えを聞いた森田を平井は止める事ができず、あれよあれよと言う間に一部屋だけと相成った。
そもそも、いっちゃうところまでいっている二人である。体の関係は勿論、同棲までしていてホテルの部屋を別々にすると言う平井の方が、世間的にはおかしく見えるのかもしれない。
しかし、体の関係を持っていても森田とは恋人になった覚えはなく、同棲はしていても部屋は別々という二人だ。それは同棲ではなく、一般に言う同居と変わらないのではないかと平井は思っている。
それ故、ホテルで一緒の部屋で眠るということが、どういう意味を持つのかも平井は正しく理解していた。
銀二たちがいるのは、後ろから背を狙われても仕方の無い悪党の世界だ。
誰が何時裏切るともしれない世界、そこで生き抜く条件の一つは人を疑うこと。
肉親さえ安易に信じてはいけない世界であるからこそ、己以外を疑うのは当たり前で、それは息をするのと等しい。
他人とならば、尚更である。そこには損得抜きの信頼関係がなければ為しえない。
森田はそういう汚れた世界にあっても、根本的なところが綺麗なままだ。
人を疑う事は知っていても、誰を疑い、誰を信じるべきかを本能的に知っている。
銀二や巽、安田に向けられるのは、何があっても自分を裏切らないという無償の信頼。
これが梅谷や土門と言った枠の外の人間ならば、森田は二部屋にしても何も言わなかっただろう。
そしてその無償の信頼が、平井にはこそばゆく、尻のすわりを悪くさせている原因である。
平井とて、一皮向けば人を陥れる悪魔の面だ。森田の身に不都合な事があれば切り捨てる事もあるかもしれない。
けれどそれを知っても、平井に向ける森田の信頼は揺るがないだろうと、そう言い切れてしまうのが厄介な所なのだ。
「…俺も焼きが回ったかね…」
綺麗なままでいることが眩しく、それが森田であることが嬉しいなどとと思う日がこようとは。
ベッドの端に腰掛け、硬い髪に指を通しながらそう一人ごちる。
だが、貴重であるからこそ守りたいと思う自分がいるのもまた事実。
暗い世界に居ても、綺麗なままで居続けて欲しいと勝手ながらに思っている。
「……今くらいはいい夢を見な…」
朝が来ても闇の世界で動くのだから、夜くらいは優しく包み込んで。
穏やかな夢見れるように、唇にそっとキスをした。