銀さん、と己を呼ぶ声と共に肩甲骨辺りが引っ張られる感覚がして、またか、と内心で呟いた。
声をかけてきたのは、先日競り落とした天使だ。まだおぼつかない羽で飛んできたのか、それが背中に張り付いている。
「…鉄雄」
「あの子、見付かった?」
やはりそのことかと、銀二は天使には判らないように小さな溜息を吐いた。投げかけられたのは慣れてしまうほどに毎日繰り返される質問だ。
よほど気になっているのだろう、言わせないように先に言葉を発したにも拘らず、鉄雄は初めて口をきいた時から同じ質問を銀二に投げてくる。
「ねぇ、銀さん」
「言っただろ? 今探してるって」
背中に張り付いていた天使を、腕を回して前に抱きかかえる。
人外の子供が過ごしやすいようにと温度調節された部屋は、人が過ごすには少しだけ低い。子供特有の高い体温がじんわりと銀二の体を温めた。
「でも」
「俺が信じられないか?」
人を疑うことを知らない無垢な子供には、この答えが一番よく効く。
毎日同じ答えしか返ってこないのを不満に思っているのだろう子供を慰めるべく背中を撫でてやると、小さな手がゆるゆると伸び、銀二の首に縋りつくようにして大人しくなった。
彼が聞いてくる”あの子”とは、この天使の双子の兄なのだそうだ。
兄は鉄雄を逃がそうとしたが、弟は見捨てることができず、戻ってきたところで兄弟諸共捕まったらしい。
いつも一緒に居たと言うから、引き離されたのが余程堪えているのだろう。兄が疑えと言い含めていたにも拘らず、目の前の子供は銀二を疑うことをしなかったのがいい例だ。
「ごめんな」
「…銀さんは悪くないよ?」
まだ幼いこともあるのだろうが、天使という種族は余り疑うことをしない。
最近は知恵をつけて人を警戒しているという話も聞くが、彼らの根が優しすぎるためか、簡単な罠でも捕らえられる。いつかの仕事相手がそんな話をしていた。
檻に入れた人外の母子を肴に高い酒を飲んでいた悪趣味な男を思い出して気分が悪くなる。その男はきっちりと搾り取って無一文で寒空に放り出してやったが、母子は助け出すまでもなかった。彼らは自らの命を断ち切るという方法で自由を得たのだ。
なんと嫌な時代になったことか。
共存していた時代があったなど、恐らく今の子供たちは知らないだろう。
ヒトがのさばり始めてからまだ二百年ほどしか経っていないと言うのに、その火力でもって他を制圧している。
思えば、百年ほど前に人外の者達が結託して起こした反乱が期だったように思う。あそこでヒトが勝ってから、世界はおかしくなったのだ。
銀二の腕の中に大人しく収まっている子供の親も、どこかで生きているのだろう。
だが、探したとしても子供が元の森に帰ることは決してない。
何よりも、銀二がそれを許さないからだ。
背を撫でていた指を上に滑らせ、白羽をゆるりとなぞる。
すべらかな感触は、人がどれだけ研究を重ねたところで決して手に入れられないもの。
その昔に人類が憧れた自由な羽は、彼らだけに許された赦しの象徴だ。だからこそ、今でも人は欲しがるのかもしれない。銀二がそうであったように、彼らに幻想を抱いている。
「鉄雄」
「なぁに?」
「…俺が好きか?」
この質問の答えを、銀二は一つしか聞いたことがない。
勿論、それを知っていて聞いているのだから世話もない。下らない感傷だ。
「銀さんは嘘吐かないもん」
「…そうか」
「それに、俺を助けてくれた」
件の競売である。いまだに自分が競りにかけられていたことを、この子供は知らない。
黒服に住処かから連れ出され、兄弟と引き離されたことは判っていても、それだけだ。何かされる前に銀二が助けたのだと思っている。
既に終わったことだと言うのに、嘘吐きである自分をその愚直さでもって信じている。
けれど、その愚かさに救われているのも―――また確かなのだ。
「……腹が減っただろう。何がいい?」
居心地の悪さにさりげなく話題を逸らしてやると、首に纏わりついていた子供はぱっと顔を上げた。
「えっとね、この前食べた赤いのがいい。甘くて、美味しかった」
「この前って言やぁ……ああ、あれな。ちょっと待ってろよ」
うん、と元気よく返事した天使を舶来ものの椅子に乗せてやると、柔らかさが気に入っているのか上機嫌にぽふぽふと布を叩いている。
最近は本来の用途にしか使われることがなくなったこの椅子は、少々値は張るが適度な柔らかさと弾力を持っていて、以前は仮眠をとるのに重宝していた。
その様子を見て取った銀二は子供を残し、台所に向かう。銀二の記憶が正しければ確かあと5つ程あったはずだ。
果物しか摂ることのできない彼の為に、目に付いたものは大方買うようにしている。あの子供にはそれだけする値打ちがあると思うからしているまで。
競売畳で渡されたマニュアルは、一通り読んで捨ててしまった。
あくまでも愛玩動物、彼らを人以下とみなして書いている内容に気分を悪くしたのは事実。
子供に対する感情は既に愛玩動物の域を出ていて、それを敢えて言葉で表すのならば寵愛、否、もしかすれば性質の悪い執着かもしれない。
人の親なら願う子の自立を、銀二はあの天使にさせるつもりはなかった。
「…おいおい、埃が立ってるじゃねぇか」
「銀さん!」
ばねが仕込まれたカウチが面白いのか、それを踏み台にして小さな羽を動かす彼に自然と頬が緩む。
まだ飛行が上手くない彼は、時折こうして小さな足で擬似的な飛行をして飛び方の感覚を覚えているらしい。
「鉄雄」
名前を呼ぶとすぐに寄ってくる子供のこういうところは、まるで犬だなと苦笑してしまう。
飛びついてきた子供を受け止めてやれば、ふわふわと動く白い羽が銀二の視界を遮った。
「いきなり飛びつくと危ないと言っただろう」
「我慢できなかったんだもん」
食いしん坊だなと笑うと、すぐに、違うの、と応えが返ってくる。怒りを表すかのように膨らまされた頬はまるで餅だ。
カウチにあわせて買った、これまた渡来品の背の低い机に果物の載った皿を置くと、銀二は小さな子を抱きかかえたまま椅子に腰を下ろす。
くしゃりと頭を撫でればふいと背けられる顔。どうやら機嫌を損ねてしまったらしい。
「悪い悪い。ほら、これやるから機嫌直しな」
皿から果実を一つ摘んで口元に持っていっていくと、暫く無言の抵抗を続けたものの、怒りよりも空腹の方が勝ったのか、小さな口をあけてもしゃもしゃと噛み潰す。
赤い唇から飲み込まれていく白い果実を、銀二は尊いもののように眺める。
彼の無垢さに、己の穢れを突きつけるような絶対的な白色にはいつも眩暈がする。天使は神の使いなのだとは誰が言っていたか。
「鉄雄」
自分を呼ぶ声に何かを感じたのか、怒っている様子を崩さないままに顔を上げた子供に静かに唇を落とす。
こうすれば自然と温かさを求めている子供の機嫌が直ることを銀二は知っていた。
「銀…」
「……………」
女のものとも違う小さなそれの内部にそろりと舌を差し込むと、一瞬大きく目を見開いたものの、瞼が緩やかに閉じられてゆく。
それを眺めながら、己のものとはまるで異なる柔らかな肉を味わう。
優しく食むと小さな体がぴくりと反応し、銀二の服が密やかに握られたのが判った。
「ぎん、さん……」
最後に軽く口付けを落とし、唇を離せば湿度の高い空気が子供の唇から零れ落ちる。
慣れていないが為に息を止めていたのだろう、ほんのりと上気した頬が隠されることなく目の前に差し出され、幼児趣味ではない銀二でさえ、あどけない顔をした子供は確かにおいしそうだと思った。
「ちゃんと飛べる練習、しような」
「……う、ん」
「そうだな…温室でも作るか」
幸い土地だけはある。ブランコもあった方が喜ぶだろうか。彼に似合うような白色がいい。緑の中で白色は一際映えて美しいだろう。
妥協は許さず、一流のものを揃えよう。どうせ金は放っておいても入ってくる。
それから、彼の足を優しく砕いてやらなければ。
自由に飛べる羽があるということはいいことだ。でも自分を置いて行ってしまうのはいただけない。
きっと痛みで泣いてしまうだろうから、機嫌を直すための玩具も用意してやらないといけない。例えば同じ羽を持つ鳥なら仲良くなれるだろうか。
その間に自分が入れないのは寂しいが、嬉しいことに、彼は自分から離れられない。
「ね、銀さん」
「ん?」
「俺、銀さん大好きだよ」
そうして禁断の実を頬張る天使に、銀二は零れ落ちる笑みを止めることができなかった。
ようこそ、俺だけの天使。
嘘吐きな、俺のところへ。
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ネタ元は『一西』のおこさんです。自分でも吃驚するくらい萌えた。
好き勝手やってすいませんでしたとしか言いようがないです。でもとっても楽しかったです。←