氷が溶けてカランとグラスが音を立てた。
中に入っているのは琥珀色をしたウィスキーだろうか。
「…聞いたか?」
「あぁ」
アジトをホテルのスウィートルームに変えてから、見慣れてしまった窓の外。
消えることのない光は真夜中とて人の気配を感じさせる。
煙草をくゆらせながら遠くを見詰める人間と、窓辺に置かれたソファーに腰掛け、手の中でバカラを遊ばせている男の視線は交わらない。
「赤木しげるが死んだ。今は何処へ行ってもこの話題で持ちきりだろうよ」
グラスを傾けながら、くつくつと笑う男の顔に陰りはない。
だとしてそれが悲しみと切り離せるものかと言えば、それは否である。
「神域の男も死んじまったらおしまいだってこった」
「―――銀さん、大丈夫か?」
「…何がだ」
銀さんと呼ばれた男の顔はポーカーフェイスを崩さなかったが、グラスを弄っていた手が少しだけ動きを止めた。
「……いや、何でもない」
「おい、巽。言いかけた事を途中で止めるんじゃねぇよ。俺が中途半端を嫌ってるのを知ってるだろう?」
「別に銀さんが気にするような事じゃねぇさ。これでまた悪党が減ったと思ったら、ちょっと感傷的になっちゃっただけだよ」
「悪党―――ねぇ」
赤木しげると言えば、裏筋では有名な男だった。
麻雀卓を囲めば、狙われた獲物は骨も残らない。髄までしゃぶられて無一文で放り出される。
平井達が初めて赤木と会ったのは、彼の頭に白髪が混じり始めた頃だろうか。
その時にはよく笑う男だと思ったが、その顔の向こうにある猛禽類のような瞳の鋭さだけは隠しようがなかった。つまりは平井達と同じ穴の狢。
年を喰って少しは丸くなったらしいと聞くから、若い時はさぞやんちゃをしていたのだろう。
なんせ武勇伝だけは事欠かない男であった。
「だが赤木一人が減った所で悪党の数は減らねぇだろ。ンな事になっちまったら、それこそオマンマの食い上げだ」
平井はウィスキーを転がすのに飽きたのか、グラスを卓の上に置いて、巽がぼんやりと眺めていたネオンの方へ目を移した。
「それで、銀さんは参るのかい?」
「馬鹿言うんじゃねぇよ。明日は抜けられねぇ仕事も入ってる」
「そう言う事じゃないんだけど――まぁ、銀さんがやりたいようにしたらいいんじゃない」
「言われなくともそうさせてもらうさ。大体俺に墓参りなんて似合わねぇしな…参った所で赤木に爆笑されるのがオチだろうよ」
「言えてる」
闇のフィクサーとして名高い男さえからかいの対象としていたのだから、自分の墓参りに来る平井を見たらどう思うか。
大した悪党のくせに妙に子供っぽい所もあったからこそ、指を差して爆笑してくれるだろう。
「ハハ…まぁ、時間があけばふぐさしくらいは持って行ってやるさ」
「そっちの方が銀さんらしい。……じゃあ、安っさんのことも気になるし、俺もそろそろ戻るわ」
「おう」
報告を兼ねてではあったが、見張りの仕事を抜けてきていた巽が部屋を後にすれば、あとに残るのは一人。
「感傷的、ねぇ…」
胸元から出したマイルドセブンから葉巻を1本取り出し、慣れた手つきで火をつける。
一口大きく吸えば、肺に充満する煙の感覚。
「…死んだらおしまいか……」
頭に思い浮かんだのは、共に何度か死線を潜り抜けた昔の相棒の姿だ。
彼が引退してからは完全に関わりを断ち切り、過去は闇の中に封じ込めた。
堅気の人間に闇は必要ない。それが平井に出来る最後の仕事だった。
関わりを切ってしまったが故に、生きているのか死んでいるのかも判らない。
けれど彼は欲望渦巻く世界では純粋すぎて、平井の生きている世界で長生きは出来なかっただろう事は違いない。
しかしそれが普通の世界ならば長生きはできる。闇の中で生き慣れた自分よりもずっと。
それを悪友の訃報で思い知らされるとは思わなかったけれど。
願うのは、彼の生。
憂うのは、己の死。
「…畜生め」
窓に映った煙は、縦に一筋伸びて天井に消えた。
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神域の命日にかこつけた銀さん+巽(+森田)話。巽さんの口調がわからなくて途中で泣いた。
そして神域が1mmも出て無い罠。申し訳ない…神域っ……!